阿部篤志『おみずさま』(QAZZ-001)
¥3,080(税込)
スタジオに入って何気なく収録したらしい、一曲目の『Next Step』はずっと後になって付けたタイトルである。2018年8月に本アルバムのプロデューサーである石田久二が自身のYouTubeチャンネル『宇宙となかよし/Qさん』を立ち上げる際、ジングルを含め、いくつか音源を提供してもらった。名のあるスタンダードとしてはJohnny Mandelの『EMILY』、アイルランド民謡の『Londonderry Air/Danny Boy』、Jimmy Van Heusenの『It Could Happen To You』、それ以外に即興で数曲が石田のiPhoneに入っている。
阿部篤志との出会いは、クラリネット奏者の土井徳浩がきっかけ。初心者リスナーのためのジャズ講座を仲間内で開きたいと思い、様々なスタイルで自由闊達に弾きこなせるピアニストとしてご紹介いただいた。講座の一部では『Over the Rainbow』を題材に、クラリネットとのデュオでクラシカル、スイング、ビバップ、そしてフリーに至るまで見事な腕前で演奏し、石田はその場で完全に阿部のピアノに魅了された。
その後、YouTubeの音源提供も快く引き受けてもらい、今や登録者数10万人を超えるチャンネルの中で毎回、阿部篤志のピアノは流れている。中でも即興で演奏した軽快なナンバーはチャンネル冒頭で流れることも多く、YouTube視聴者から楽曲に対する問い合わせもちらほらあった。だったら、いっそアルバムを作ってしまえと企画したのが本アルバムである。そして冒頭の『Next Step』は即興曲を譜面に書き起こし、改めて収録したものである。
さっそく楽曲の紹介をしながら、本アルバムをセルフレビューしていきたいと思う。
1.Next Step/阿部篤志
YouTubeの『宇宙となかよし/Qさん』はブロガー、著者、講演家である石田久二が自身の新天地を求めて立ち上げたチャンネルであり、開始2年で登録者数10万人を超え、今や石田はスピリチュアルユーチューバーとして新ジャンルを開拓した第一人者として活躍中。「次に進もう」と決意を込めて立ち上げたチャンネルだけに、そのまんま『Next Step』と名付けた。
一聴して1920年代のアメリカの古い曲のような懐かしい香りがするナンバー。フリージャズ、現代音楽、民族音楽などあらゆるジャンルに精通する阿部であるが、意外とこの辺の着想が原点なのではないかと思わせられる。アルバム一曲目を飾るにマッチしており、この後、どんな曲が続くのか期待を膨らませる。
2.見上げてごらん夜の星を/いずみたく
1963年、坂本九の歌で大ヒットした、言わずと知れたジャパニーズスタンダード。阿部のピアノで聴きたいとリクエストしたら、「こんぐらい」な感じのいい雰囲気に仕上がった。「すばらしい」は誉め言葉として最上級かもしれないが、石田的には「こんぐらい」のレベルを常に聴かせられることの方がはるかに素晴らしいと思っている。
本アルバムは、一応はジャズのジャンルに入るのだろうが、それは30年来のジャズキチである石田のスタンスから。しかし「ジャズ」という語法を用いるには、あまりにもジャズ的でないのが「こんぐらい」にちょうどいい。テーマはほとんど楽譜通り、申し訳程度のアドリブパートもさっと通り過ぎて、最後はサビからまたテーマ。8分も演奏しているのを最後に知ってビックリ。
3.Cherokee/Ray Noble
本アルバムはジャズファン以外の人にも広く聴いていただきたいと思って企画したが、それでもおよそジャズファンの間では有名でも、それ以外では一般にあまり知られないジャズのスタンダードを3曲目に持ってきた。1930年代後半から40年代にかけて、ジャズがダンス音楽から鑑賞音楽(芸術)へと昇華させるきっかけとなった曲と言っていい。モダンジャズ(ビバップ)の創始者と言われるCharlie Parkerがこの曲を演奏しているとき、サビの部分でなんとなくコード進行が細分化、複雑化してしまった、ある種偶然の産物と言われたりもする。
一般的に超高速で演奏され、ピアノではBud Powellの演奏が有名。実はレコーディングの際、この曲と後の『Quasimodo』には時間を費やした。阿部いわく、「バド・パウエルにしちゃえば簡単だけど・・・」と、いわゆるパウエルの呪縛から離れるのに苦心したそうだ。合計10テイクほど重ね、その甲斐ある作品になったと思っている。
4.All the things you are/Jerome Kern
この曲もジャズ・オブ・ジャズみたいな曲で、一般的にはあまり有名ではないだろう。元はミュージカルのナンバーなのだが、歌手よりも圧倒的に楽器演奏者によって取り上げられ、そしてほとんどすべてのジャズミュージシャンが演奏、録音している。どうも演奏者にとってやりがいのある曲のようで、4小節ごとに大きく転調する、コード進行がアドリブ教科書的な「2-5(ツーファイブ)」の繰り返しで成り立っている、小節数が中途半端に多いなど、確かに面白い曲ではある。しかし、演奏のための演奏のような機械的な曲ではなく、旋律自体も非常に美しい名曲には違いない。
これもCharlie Parkerの演奏がジャズ曲として定番化させたものであり、Parkerの演奏に加えられたイントロもほぼセットになっている。本アルバムは、コンセプトとほとんどの選曲を石田が指示したのだが、どんな色彩に仕上げるかはすべて阿部まかせ。冒頭、定番のイントロを静かに弾き始めたと思ったら、テーマはミニマムな音づかいで、なかなかお馴染みの展開に入らない。Hampton Hawesのようにスローバラードからアップテンポの4ビートに突入する瞬間を今か今かと待っていたのが、それを期待するのも野暮な話だった。一音一音の残響を確かめながら、抽象絵画のようにキャンパスを埋めていく。結局、絵の具も最小限にしか使わず、音なき音を聴かせるための白さが目立つ美しい一枚に仕上がった。
5.Quasimodo/Charlie Parker
そもそもQuasimodo(カジモド)って何だろうと調べてみると、ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダムの鐘』の主人公の名前らしい。背中の曲がった醜い男で、ちょっと悲劇的な人物のようだ。Charlie Parkerの曲になるが、おそらくたまたま読んでいた程度の理由で付けたタイトルだろう。事実、Parkerは読書家でインテリだったそうだ。Parkerの曲の大半は、既存の楽曲のコード進行に即興で付けたようなメロディで、この曲はバラードの『Embraceable You』のコード進行を借りている。QuasimodoもEmbraceable Youも1940年代のアルバム『On Dial』の収録曲で、Quasimodoはミディアムテンポで演奏される。
レコーディングに際してはCherokeeと同様、阿部にしてはテイクを重ねた。Cherokeeではバップからの脱却に苦心していたが、この曲では割と吹っ切れたのか、それこそParkerの『Confirmation』の一節を引用していたりもする。奇をてらわず、いかにもジャズな演奏にホッとする。
6.コンドルは飛んでいく/Daniel Alomía Robles
本アルバムで唯一、阿部が持参した曲。言わずと知れたフォルクローレの代表曲で、サイモン&ガーファンクルのカバーがつとに有名だ。レコーディングはワンテイクで完成。本アルバムではちょうど折り返しになるので、レコードで言うならA面のラストを飾るにふさわしい壮大な演奏になった。
この曲に関しては、ジャズとして演奏される機会は多くないと思うが、民族音楽にも、即興演奏にも精通した阿部は水を得た魚のように自由自在に泳ぎまくっている。曲のコードなどもあってないようなもので、自由度が高いということは、それだけ技量の差が出やすいことを意味する。鬼才・阿部篤志の本領発揮だ。
7.Teddy O’Neill/Irish Song
個人的な話題で恐縮だが、今から20年前、ちょっとした失恋をしてしまい、傷心旅行のつもりか、アイルランドを自転車で一周した。ベトナムかアイルランドか迷ったのだが、なるべく遠くに行きたかったのでアイルランドにした。孤独で腹の減る自転車の旅は約3週間。真夏ながら何度も雨に打たれ、ずぶ濡れのままにテントを張って、草の香りをかぎながら寝入る毎日。しかし時間のある時は本場のアイリッシュパブに足を運び、ギネスビールを飲みながらライブを楽しんでいた。
アイルランド音楽には大きく二種類あって、一つは軽快なダンス音楽、もう一つはエア(Air)と呼ばれるスローバラードだ。この曲は聞いての通り後者で、旅の間に出会った最も美しい曲の一つ。その時に買ったCDを20年間ずっと聞いていたが、YouTubeの時代になっていろんな人の演奏を聴くことができて嬉しい。そして今もなおちょっとセンチに響くが、阿部のピアノは輪をかけてくれる。
8.まるいひと/即興
『パッフェルベルのカノン』のコード進行(いわゆるカノン進行)で、『まるいひと』をテーマに即興でお願いした。「まるいひと=ドミレシド」が何度も何度も登場する。数えてみようかと試みたが、まだ数え切ってないし、数えたところでどうと言うこともない。レコーディングもワンテイクでOK。ただひたすら美しい。
全体を通して「三拍子」により進行されているが、三拍子は「あっちの世界」へいざなうリズム。お経も三拍子。コルトレーンも三拍子の『My Favorite Things』をひたすら演奏し続けたが、文字通り聖歌となった。「まるいひと」ももしかしたらもっと続けば、本当に行ってしまったろう。6分はあまりに短いと思ったが、その辺にしといてよかったのかもしれない。
ちなみに「まるいひと」とは、本アルバムの制作にも食い込んでいる「弥勒のみこちゃん」、こと岡本弥子さんが石田に付けたニックネームであり、普段は「Qさん」と呼ばれる石田だが、みこちゃんからはずっと「まるいひと」と呼ばれている。「丸いことは良いことだ」とする、みこちゃん哲学がこの曲にも反映されていると思う。
9.おみずさま/杉山正明
本アルバムのタイトルチューンとなる「おみずさま」だが、漢字に当てはめると「お水様」になり、それは「弥勒のみこちゃん」が大切にしている言葉でもある。文字通り「水」をテーマにしており、アルバムのジャケットイメージも「水(おみずさま)」である。ここに登場するのが、石田とは旧知の音楽家の杉山正明。「おみずさま」をテーマに譜面を書きおろし、この録音にもシンセサイザーで参加している。リズムもテンポも一切指定がなく、小節の区切りもなく、下降する八分音符に、四分音符の上昇音を中心に配列されるだけの、まるで絵画のような原譜であったが、そこから阿部は多くの情報を読み取った。
杉山は作曲の際、戦国時代、豊臣秀吉の参謀と言われた黒田如水(=黒田官兵衛)の『水五訓』をイメージしたそうだ。
『天から地上に降りる水、流れる水、溶け込む水、押し流す水、浄化する水、そしてまた天に昇華する水、それらが聞いている方の気持ちの中にイメージされていけばなあって思っています』(杉山談)
1.自ら活動して他を動かしむるは水なり
2.常に己の進路を求めて止まざるは水なり
3.障碍に遭いてその勢力を百倍するは水なり
4.自ら潔くして他の汚れを洗い清濁併せて容るるの量あるは水なり
5.洋として大海を充し、発しては蒸気となり雲となり雨となり雪に変し霰と化し凝りては玲瓏たる鏡となり
而もその性を失わさるは水なり
レコーディングスタジオでは、「とりあえず、ま」というノリで始まったが、結局、その一発がOKテイクになった。水の滴りに始まり、さらさらとそよぐ水流、濁流からの解放、目を瞑るとそれぞれ情景が広がる、あまりにも絵画的な二人のインプロビゼーションをお楽しみあれ。
10.弥勒満つ世の調べ/杉山正明、岡本弥子
実際に譜面におこしたのは杉山正明であるが、原曲は岡本弥子(弥勒のみこちゃん)である。石田が主催する「大浄化祭」なるイベントを企画する上で、その連絡チャット内に、みこちゃんが突然、「35 35 35 325325 6868 88 88 88 369 369 324 324 369 369 35 35 35 325325 6868 88 88 88 369 369 324 324 369 369」のような数列をおろしはじめた。解釈すると「35」は「みこ」、「325325」は「みつこみつこ」であり、みこちゃんの本名でもある。「369」は「みろく」、「324」は「みつよ」であり、みこちゃんの仏教名。56億7千年後の未来からやってくる弥勒菩薩が、この世に真の平安をもたらすために下ろした数列と音列。杉山はその数列を元に譜面へと具現化した。
「35」は3度と5度、ドレミで言うと「ミソ」となる。「325」は「ミレソ」、「369」は「ミラレ」、「324」は「ミレファ」であるから、タイトルの「弥勒満つ世」は「ミラレミレファ」であり、このモチーフが全曲を貫く。「序の章」「破の章」「急の章」の三部形式の組曲となっているが、阿部の恐るべき読解力が文字通りの「弥勒の世」へと昇華させている。人々の業(カルマ)がすべて浄化された平穏の世界。
11.瑠璃色の地球/平井夏美
松田聖子のヒット曲。こんな美しい歌があったとはね。地球は水の惑星。「おみずさま」のコンセプトにもピッタリ。ストリングスを模したシンセサイザーが雰囲気を高める。阿部のピアノは大甘口へ寸止めする、引き締まった味わい。とにかくピアノの音色が美しすぎる。
本アルバムにおいては、『おみずさま』『弥勒満つ世の調べ』、そしてこの『瑠璃色の地球』の三部作がハイライトと言ってよく、エンディングは『弥勒満つ世の調べ』のモチーフで締めくくる。
12.Just the way you are/Billy Joel
時間があるのでもう一曲やろうかと、その場で選曲したのが、これ。ビリー・ジョエルの『素顔のままで』は多くの人に愛される、ちょっと切ない感じの曲。コードのチェックだけして、メロディは二人の頭の中にあるものを。「ボーナストラックとして」の位置づけなので、気軽にどうぞ。後からベースをオーバーダブした。
阿部のピアノはその音色の美しさが特徴であるが、曲によって音色そのものを変えてくる。ペダルの踏み方にその秘訣があるそうだが、ここでは時おり、エレクトリック・ピアノのような響きがする。実際、原曲でもフェンダー・ローズ(エレクトリック・ピアノの代表的メーカー)が使われている。
最後に演奏者について。ピアノの阿部篤志、大学は法学部出身で音楽はほぼ独学。ジャズに限らず、あらゆるジャンルからファーストコールがかかる。身柄だけおさえられて、本番当日にやることを知らされるなんてこともザラ。そんな柔軟性が単なる器用に陥らず、超絶な水準でバシッと期待以上の働きをする。日本のみならず中国や台湾など国際的に活躍している。ウイスキー、特にスコッチを愛しているそうだ。
シンセサイザーの杉山正明もまた大学は早稲田で、在学中に松崎しげるの音楽監督からキャリアをスタートするベテラン。映画、CM、舞台への楽曲提供も多数。トランペット奏者でもあり、タモリバンドでバンマスをしていたことも。
阿部と杉山は、石田を通して出会ったのだが、すでに阿部は東儀秀樹のコンサートのピアニストとして、杉山も同じく東儀秀樹の音楽監督として共通の現場を踏んでいただけに、阿吽の呼吸でお互いの手がわかるそうだ。それもまた必然ってわけだ。
本アルバムは石田が設立した新レーベル「Qazz」の一枚目を飾る記念碑。末永く愛されることを願っています。
(石田久二)
阿部篤志/piano
杉山正明/synthesizer,arranement
1.Next Step(阿部篤志)
2.見上げてごらん夜の星を(いずみたく)
3.Cherokee(Ray Noble)
4.All the things you are(Jerome Kern)
5.Quasimodo(Charlie Parker)
6.コンドルは飛んでいく(Daniel Alomía Robles)
7.Teddy O’Neill(Irish Song)
8.まるいひと(即興)
9.おみずさま(杉山正明)
10.弥勒満つ世の調べ(杉山正明、岡本弥子)
11.瑠璃色の地球(平井夏美)
12.Just the way you are(Billy Joel)
レーベル:QAZZ
企画:石田久二
制作:株式会社フロムミュージック
発売元:まるいひと株式会社