北川靖明・鈴木孝紀『J'adore la clarinette』(QAZZ-014)

¥3,080(税込)

QAZZレーベルも本作で8枚目になる。そのうち阿部さんが参加されたアルバムは5枚。半分以上であり、10月にもさらに一枚、ライブレコーディングが予定されている。こう言ってはなんだが、阿部篤志って名前自体は一般にはあまり知られていない。本人のSNSも公式サイトもブログもないが(過去にはあったみたいだが)、実はその必要がないくらい、年間通してスケジュールがビッシリのようなんだ。

いついつお願いします、と身柄だけ確保しておいて、内容は直前か当日なんてことも。どんなジャンルでも高水準な仕事を残し、もちろん決して器用貧乏ではない。そんな阿部さん、ピアノはほとんど独学と言うからさらに驚きだ。地元岡山(倉敷)では中学から吹奏楽部に入り、すべての楽器をこなし、指揮はもちろん、作編曲も当時からバリバリ。神童と呼ばれていたそうだ。しかし高校卒業後、法曹を目指し地元に近い島根大学法学部に進学。

音楽は趣味のつもりだったが、ある日、Bill Evansのソロアルバム『Alone』を聴いて、天啓。こんなことしてられない!とその日からプロの道へ進むことを決意する。音大や専門学校の手垢がついてない分、現場仕事もこだわらずに受け、叩き上げでやってきた結果、このようなオールマイティの演奏家へと育ったのであろうか。

もちろん僕の一方的な推測であって、若い頃からの阿部さんにどんな歴史があったのかは、知る由もないし、知る必要もない。ただ、彼のピアノをずっと聴いていたい。それだけだ。

2022年3月、下関で仕事があるついでに福岡で何かやろうと企画したのが、ベーシストの松下一弘さんのトリオでのライブ録音。さらについでに翌日、ソロでも録りましょうってノリで決まったのが本作品。いわゆるレコーディングスタジオではなく、クラシックのホールを借り切って録ろうと思い、今回、エンジニアを務めてくれた田島さんのご紹介で決まった。末永ホールは普段は九州交響楽団のリハーサルで使用されるとのことだが、普通にコンサートもやっている。ピアノはSteinway D-274なので申し分ない。

4時間ほど押さえたので、その中で自由にやってください。その場にいたのは阿部さん、エンジニアの田島さん、その他、僕と3名くらいのギャラリーのみ。オーケストラが入る規模のホールのど真ん中で僕は寝ころんで聴いていた。眠るかと思ったが、眠らなかった。2時間ぶっ通しがあっという間だった。草原に大の字で朝から夕暮れまで空を見上げていた、みたいな感じでずっと聴いていた。

何も考えずにすべて収めてもよかったのだけど、エッジを効かす意味でも、9曲ほどに絞った。曲数で言えばその倍はあったかもしれないが、全録音を持ってるのはプロデューサー特権として、それでも選りすぐりが今手元にあると思って差し支えない。

タイトルは普段はプロデューサーである僕がつけるのだけど、今回は阿部さんの方から提案があった。天地人。多分、深い意味があるのだろうけど、意味を聴き手に委ねるのも良い。阿部さんの寄稿と解説を載せておくので参考までに。

僕の方からも簡単に楽曲の解説と言うか、感想を残したい。冒頭は即興による「天」。天だ。次はその雰囲気を残しながらスタンダードのMisty。文字通り、霧がかかっているのが、「地」の即興で少しは晴れてきた。

ANENOHって曲は阿部さんのオリジナルだそうだが、即興かと思っていた。阿部さんは普段、即興でも可愛い曲を弾くからだ。多分、人気と思う。

5曲目はスタンダードのBody and Soulだけど、アルバムの第二章かな。肉体と精神、すなわち「人」が続くわけだから。この即興は聴いてびっくりだ。聴きどころは阿部さんの声による「ひとりハーモニー」。曲芸が芸術に昇華している。

お経って三拍子なので、唱えたり聞いたりしているとトランスに入りやすい。Coltraneがこの曲を何度も、それも長時間に渡り演奏し続けたのは、そんな覚醒効果を狙ってのことだったかもしれないが、阿部さんはMy Favorite Thingsを五拍子で演奏した。耳に引っかかるのが気持ち悪くて気持ち良い。

Hymnはヒムと読むそうだが、普通に英語にあった。讃美歌の意味。2008年に阿部さんの最初のトリオアルバム「ピエロの唄」でも演っているが、今回の方がグッと讃美歌だ。ラストは本物?の讃美歌って言っていいのかな。今のこの世界に向けて。
(石田久二)

ソロピアノアルバム【天地人】に寄せて

 緑に囲まれた環境でこの寄稿を書いています。

 自分の人生も半分は過ぎたかな、とか思いながら、今後の音楽家人生がどんな風に色付いていくのか、または枯れていくのか、こればっかりはたいした意思表示や人生設計もなくてね。『行き当たりばったり』って言葉が一番しっくりくる。

 それにしても、木々はいつも優しく揺らいでいるよ。

 25歳の時に上京、当時はジャズピアニストで生きていくぞー、なんて鬱陶しいほどの意気込みで、周りを巻き込むほどの熱量だったけれども、人間だんだんと丸くなるもので…。音のあるべき姿は、人間の多様性にも通ずるというかね、そもそも勝手な価値観で作られた『枠』で人間を閉じ込めるんじゃねーよ!って思う。いつしかジャンルなんて関係ないピアニストになっていく俺。

 それにしても、台風並みの風が吹いても花は落ちないのだよ。

音が生まれるって何だろうって思う。経験によって積み重ねられたもの、でしかないのかな。枠の中にある既存の言葉をブラッシュアップするしかないのかな。『新たな音』って絶対あるはずなのにね。

 それにしても、昨年こんな花咲いてたかな?

 『人間の魂の音』が好き。形式とか超える瞬間、知ってる。聴いたことある。見たことある。自分の理想。信用できるものに心が動く。

 それにしても、鳥や虫の鳴き声、羽音は、魂が振動してる音だ。

 要は『生きる』って素晴らしいことじゃないかと思う。

 どんな未曾有の災害が起きても、その場所には花が咲くんです。

1.improvisation ~天~

何かあるんだろうけど、何にもないのかもしれない。

2.Misty

世界中の演奏家がこの曲をEbというキーで弾くのに、作曲者のエロールガーナーだけは唯一Dで弾く。

3.improvisation ~地~

何か起きてるよね、いつも。これからの地球はどうなるのか。

4.ANENOH

アネノエと読みます。お姉さんの書いた絵にインスパイアされて。アネってどこの誰?

5.Body and Soul

『身も心も』と訳される名曲。僕は『肉体と精神』って訳した。

6.improvisation ~人~

もがいて生きる。

7.My Favorite Things

私のお気に入りは、中東の楽団のような少し血生臭い演奏をすることだ。

8.Hymn#2

僕の讃美歌はおばあちゃんに向けて。そして頑張って生きてきた皆へ向けて。鎮魂歌でもあるけど、応援歌でもいい。

9.Amazing Grace

日々驚くべきことを、なんとなく過ごすのもよい。

(阿部篤志)

1.improvisation ~天~
2.Misty(Erroll Garner)
3.improvisation ~地~
4.ANENOH(阿部篤志)
5.Body and Soul(Johnny Green)
6.improvisation ~人~
7.My Favorite Things(Richard Rodgers)
8.Hymn#2(阿部篤志)
9.Amazing Grace(作曲者不詳)

阿部篤志/Piano

レーベル:QAZZ
企画:石田久二
制作:株式会社フロムミュージック
発売元:まるいひと株式会社