豊秀彩華『それから』(QAZZ-010)

¥3,080(税込)

正直に経緯を申し上げると、豊秀彩華に録音のオファーを出したのは、ピアノを聴いてからではない。とあるイベントにたまたま居合わせ、少しばかり言葉を交わした程度のことである。しかし今はSNSがある。イベント直後にメッセージをいただき、いわゆる「友達」となりご縁ができた。

その後、プロフィールを見ると、近頃、傑出した才能を生み出していると噂の昭和音楽大学ジャズコースを出ていると知り、そう言えばと思い出した。ちょっと前にYouTubeでたまたま見つけたアルトサックスの江澤茜も昭和音大ではなかったか。豊秀にメッセージを送ると、当然、面識があり何度か仕事もしたことがあると言う。実は江澤のアルバムを作りたいのだけど、と打診したところ、すぐに返事が来て快諾。

当初は江澤リーダーで作りたいと考えていたが、ちょっと待てよ。僕はご縁やノリを大切にする。ここは豊秀リーダーの方が「面白い」のではないかと直感。江澤のアルトはYouTubeで何度も聴いたし、すでにリーダー作もあり、評判の若手と知られる。しかし豊秀は?

確かにベテランから若手まで名だたるミュージシャンと共演しているので、一定の実力は認められる。しかしきちんとピアノを聴いていない。完全に未知数の領域から始められたのだが、すべてはノリだ。

2023年1月10日、東京で今回のメンバーによるライブがあるとお知らせをいただいたので、僕はそのために福岡から駆け付けた。後から知ったのだが、その日、ほぼ初めての音合わせだったそうだ。アルバムにも収録されているWaltz for Debbyや駅、そして豊秀のオリジナルなど演奏されていたが、申し訳ない。印象はちょっと平凡。オリジナル曲はかなりよかったが、全体として特筆すべきものは感じられず、音楽監督の杉山正明も同じ意見だった。

とは言え、豊秀からは何かを感じさせる。それから2か月後の3月16日、レコーディング当日を迎えた。ベースの手島甫はメンバーの中では最年長とは言え30代前半。まだまだ若手の部類に入るのだろうが、いい意味で若年寄を感じさせる安定したベースワーク。ドラムの山崎隼は最年少でなんと21歳。学校で学んだわけじゃなく、ほぼ独学でドラムをマスターした天才肌で、すでに引っ張りだこだ。江澤のアルトはすでに国内随一の実力を誇っている。じゃあ豊秀は?

結論から言うと、2か月前の印象とガラッと変わり、完全にリーダーの「顔」としてメンバーを引っ張っていた。つまり、かなりヤバかったのだ。アルバムのコンセプトとして大まかには伝えていたが、その範囲内ですべての選曲、アレンジを豊秀が施した。音の立ち上がりもよく、躍動感あるリズムとフレーズ、構成力バツグンなソロも唸らせた。

先の杉山も録音に立ち会い、豊秀の豹変ぶりにビックリした様子だった。いやいや、豊秀は元々から実力者でそうだったのかもしれない。とは言え、この2か月で大なり小なり成長を遂げたのも事実であろう。それを若さゆえの成長力と見るべきか、豊秀自身が持つ特異性、つまり「ヤバさ」と見るべきか。僕は後者だと思っている。

では曲目を追いながら、このフレッシュな4人を改めて紹介していきたい。

1.春の波

豊秀のオリジナル。1月のライブでも演奏していたが、冒頭のコード進行に耳が飛びつく。曲を書く時は、ピアノを触りながら、メロディとコードがほぼ同時に出てくるそうだが、この冒頭はやや実験的な響きが感じられる。アルバムの一曲目にふさわしく、「これから何かやってやろう」って意気込みがうかがえる。

印象的な冒頭フレーズをあしらったピアノのイントロからサックスのテーマ。いきなりベースのソロが入ったかと思うと、「リーダーは私だ」と言わんばかりの先鋭的なピアノが続く。

豊秀に好きなピアニストを聞いてみると、Herbie Hancockと即答する。しかし全体としては、どちらかと言うとWynton KellyやHampton Hawesのような、洗練された黒っぽさを感じさせるのだが、この曲についてはHancock的なポストバップの色がよく出ている。同時にちょっとオリエンタルな風味も添えられている気がしたが、実はタイトルの「春の波」は、俳句の季語から取ったそうだ。なるほど俳句だったのか。そう思って聞くと、確かに5-7-5の流れるような風味があり、豊秀はこの曲に「希望」を託しているそうだ。

2. Donna lee

言わずと知れたCharlie Parkerの代表的オリジナルであり、ジャズのスタンダードナンバー。原曲はIndianaという古い曲であるが、一説によると当時著作権を払いたくないという理由で、コード進行だけ借用して、アドリブフレーズのようなテーマをかぶせて表題とした数多ある曲の一つ。

Miles Davis作という説もあるが、おそらくそちらが正しい。Parkerだったらもっとトリッキーに細かい音符や休符を多用しているところ、単なる八分音符の羅列に終始しているのは、当時のMilesのアドリブ自体がだいたいそうなわけで。

さておき、特にアルトサックス奏者にとっては完全に手垢のついた、自転車に乗るかのごとく、自然と指が動くような曲だろうが、だからこそ難しい。バップフレーズを連発するだけでそれっぽいソロになるだろうが、それじゃあプロが務まらない。江澤も多少は苦心の様子をうかがわせながら、さすがと言える。胸のすくような快演となるが、それに続く豊秀にはまいった。

一つ一つの音とフレーズを大切に、しっかり「言いたいこと」を言い切る。これでいいのだと言わんばかりに、奇をてらわず、だからと言ってバップにもとらわれず、力の抜けきった2コーラス。ひょっとしたら、ベストバウトではあるまいか?

とある自己啓発書で「モテる秘訣」について書かれているのを読んだ。その唯一にして最大の秘訣は「自信」であると。「自信」とはありのままの自分を認める心であり、揺るがない姿勢。この豊秀のソロは「モテる」に違いない。

3.駅

Qazzレーベルはジャズを聴いたことない人にも聴きやすく、それでいて玄人が聴いても感服させる、実に贅沢な造りを目指している。だからじゃないが、いわゆるポップスを一曲は入れるようにしており、今回は竹内まりやの代表曲「駅」だ。この曲は今年50歳になった石田(僕)が中学生の頃に流行ったと思うが、これを持ってきたのは豊秀である。

豊秀にとっては母親世代の流行歌になるはずだが、いい曲はいつの時代でもいい。しかしアレンジは多少工夫を凝らした。原曲の歌謡曲っぽさを薄めるため、コード進行を変え、6拍子に。アップテンポで、鋭角的なソプラノサックスを使用。

日本人であれば誰もが耳にしたことあるだろうが、言われないとこれが「駅」だとわからない。もちろん狙ってやっているので、それでいい。とは言え、江澤のソロはちょっと切なくて胸に突き刺さる。

4. If I should lose you

Charlie Parkerのウィズストリングスのイメージが強いが、大半のジャズミュージシャンが演奏している大スタンダード。どちらかと言うと、サックスがテーマを吹いている印象が強く、個人的にはRoland Kirkが真っ先に聴こえてくる。

アルバムでは4曲目に配置したが、レコーディングでは実は最初にやり、最後にもまた録り直している。結局、どのテイクがOKになったか覚えていないが、直球、最初から最後まで王道ジャズに挑んでいる。本アルバム中、演奏時間は最長であり、豊秀いわく「好きなようにやってほしい」とのこと、自由にやっているようで、割と緊迫した雰囲気もある。もちろん、それがいい。

テーマからソロはサックス、ピアノ、ベースと続き、ドラムとのバース交換もあり、それぞれに見せ場がしっかり用意されている。

5.それから

豊秀のオリジナルで、グッと抒情的なメロディで、ジャズピアニストが書く曲としては珍しい雰囲気だ。本アルバムのタイトルチューンとしたが、そのテーマを豊秀にうかがってみた。

「前向きになれたらいいなあと思って」

それだけかい!ある時、豊秀と江澤と、それぞれに夢を聞いてみた。豊秀は割と具体的な形としての夢を語るのに対し、江澤はひたすら音を追求するのみ、形は結果論。いわば、豊秀が未来志向であるのに対し、江澤は求道者のごとく今ここに生きる。

ちなみにだが、僕自身、自己啓発書を書いている人間であり、内容はどうしても夢や願望、未来志向になる。もちろん今この瞬間を大切に生きながらも、ふっと「こうなればいいなあ」と未来のことを考えるし、その時間が割と好きだ。

おそらくだが、自身のリーダーアルバムを出すのに、江澤の場合は目標めがけて一歩一歩着実に登っていったのに対し、豊秀は「いつかリーダーアルバム出せたらいいなあ」くらいにしか思ってなく、その軽やかな引力が今回のアルバム『それから』に結び付いたのかもしれない、と勝手に思っている。

もちろんどちらが良くて、という話ではなく、性格、個性でしかない。ただ、このアルバムについては、常に「それから、どうなる?」と漠然と未来を考え続ける豊秀の性格が、一つの形になったものと言えるだろう。そしてこの曲は、とてもいい曲だ。

6. Holy land

ピアノトリオで一曲。最初、この曲名を聞いて、知らないと思ったが、メロディは聴いたことがあった。白人のバップピアニストAl Haigの演奏でよく聴いていたし、Horace Parlanの演奏でも有名だ。しかし作曲は同じくピアニストのCedar Waltonによるもの。

豊秀がこの曲をチョイスしたのはHorace Parlanの演奏が好きだったから。ちなみにHorace Parlanというピアニストは幼少期にポリオを患い、右手が変形してしまい、ピアノはそのリハビリで始めた、というエピソードはジャズファンの間では常識だったが、豊秀は知らなかったそうだ。

その辺にジャズの世代間相違があると感じた。と言うのも、ジャズは音と同時に(またはそれ以上に)、その世界と共に吸収するべきという風潮があったからだ。差別を伴う黒人文化に始まり、ビート文学、ドラッグ、反体制、左翼イデオロギー、スピリチュアルなど、一種のカウンターカルチャーとしてジャズが語られてきた。

その周辺領域に、たとえばCharlie Parkerは実はインテリで量子力学に詳しかった、Miles DavisはDexter Gordonから「服がダサい」と言われていた、Red Garlandは有能なプロボクサーだったが、友達を殴れなくてピアニストになった、John Coltraneの「聖者になりたい」発言には(笑)を付けるべし、そしてHorace Parlanの右手が変形、みたいな割とどうでもいいエピソードが付随し、それも含めてジャズだった。

しかし今やジャズは古典芸術として昇華し、大学でも学べるようになった。モーツアルトは下ネタばかり言っていたみたいな「常識」は知らずとも、ピアノ協奏曲第27番の第一楽章に涙するように、ジャズも上品で崇高な芸術として受け継がれるようになった。

つまり、カウンターカルチャーとしてのジャズは、立派な王道としてのカルチャーへと格上げされ、それだけマーケットも広がり、若い担い手たちがまっすぐ前を向いて仕事ができる時代へと突入したのである。

話が随分と横道にそれたが、よかったらHoly landという曲について、Al Haig、Horace Parlan、Cedar Waltonの演奏を先にYouTubeとかで聴いてから、ぜひ豊秀TRIOの演奏に耳を傾けてほしい。ジャズの伝統を完全に受け継ぎ、さらなる高みへと突き進もうとする気概を感じることができるであろう。

7. Waltz for Debby

ご多分に漏れず、豊秀も最初からジャズピアノをやっていたわけではない。きちんとクラシックを習っていたのだが、ある一曲が人生を狂わせる、という事例を僕は割と耳にしている。そんな一曲の最右翼にこの曲がある。豊秀も、Bill Evansを聴いてしまって・・・とのこと。

さて、初心者リスナーが最初に何を聴く?との企画に、ほぼすべてにこの曲が上がって来ると言っても差し支えない。それだけ多くの耳を惹きつける、完成された美しさを持つ曲だが、それだけに演奏は困難を極める。7拍子でやっているのを聴いたことがあるが、それじゃワルツじゃないし、とにかく苦心するしかない。

ただ、今回はサックスがあるし、と思ったらCannonball Adderleyがすでに名盤を出している。さあ、困った。冒頭、ピアノとベースでお馴染みのメロディが鳴ったと思ったら、最初の4小節を3回繰り返しイントロに充てる。サックスがテーマを奏でるが、おやおや。コードをマイナーに変えてしまい、リリカルにセンチが加わり、意表を突かれたがもちろんありだ。サビからは通常通りでホッとする。

ソロが面白い。マイナーにチェンジした前半、ここだけ聴くと曲名がわからない。後半のサビでああとカタルシスが訪れるが、そのつなぎの部分がたまらない。江澤と豊秀と1コーラスずつのソロだが、豊秀は周りの音をよく聴いており、リーダーとしてしっかり世界を掌握している。ライブなんかでは、あえて最初のテーマを省き、いきなりアドリブから入ってお客さんを不安にさせる試みなど面白いかもしれない。

8. Recorda-Me

「隼君のドラムで聴きたかった」とのこと、それぞれに見せ場があるが、確かにドラムが美味しい。余計な話をしよう。Qazzレーベルでもたびたびお世話になっている池袋のSTUDIO Dedeだが、今回はそのオーナーである吉川昭仁氏にエンジニアリングをお願いできた。吉川氏はスタジオのオーナーであり、エンジニアであると同時に、バークリー音楽大学で研さんを積んだ優れたドラマーでもある。

21歳の山崎とは初対面だろうが、僕がスタジオに入った瞬間、なぜか緊張が走っていた。メンバーは定刻30分前にはスタジオ入りし、それぞれに準備に勤しんでいた。音にも機材にもこだわりがあり、朝の4時からセッティングをしていた吉川氏に対し、山崎はなんとドラムセットの変更をその場で命じていたのだ。Gretschでお願いしていたが、叩いてみるとちょっと違う。当然、ミュージシャンファーストであるべきだが、吉川氏の気持ちもわかる。

間に入った僕は「すみません、ふぇふぇふぇ」と笑って誤魔化すしかなかった。しかし山崎も大したものだ。大先輩の、それもちょっとコワモテの吉川氏に対し、臆することなく主張する。

Recorda-Meの録音時、吉川氏は珍しく山崎のドラムに口をはさんだ。

「お前は気づいてないかも知らんけど、ラロカが出てきたり、エルビンが出てきたり、一貫性がないねん。お前のドラムを叩けよ。20年後に聴いたらわかると思うけど」

素人の僕にはわからない、プロドラマー同志の高度な世界の話だ。何度かテイクを重ね、この曲に限らず、絶えずドラムには目を光らせ、一日の収録が終わった。

「朝からいらんこと言ったかもしれんけど、俺もええ音を撮りたいと思って、4時からセッティングして、真剣にやってんねん。文句言うなら自分で全部持ってこいって話やけど、それだけええ仕事したいからこそやねん。でもな、お前のドラムは、OKやで」

STUDIO Dedeは間違いなく国内随一のスタジオである。最新から年代物まで、その世界の住民なら唸り声をあげる機材が揃い、雰囲気も最高だ。倍音までしっかり拾うために、全編をアナログで録音するスタジオも決して多くはない。

お互いのこだわりの中で、緊迫した中で産まれた音の数々。あの吉川氏から「お前のドラムはOK」と言わしめた、最年少の山崎にもしっかり耳を傾けてほしい。

9. For heaven’s sake

割と渋めのスタンダードと思ったが、Bill Evans やChet Bakerなど、意外と多くの名演を残している。しかし僕はこの曲の決定版を知っており、日頃から愛聴していた。Charlie Hadenを女房に従えたKenny Barronのデュオライブだ。ひらすらビートを刻むCharlie に対し、音数の多いKennyのピアノが妙にマッチしているのはそうだが、個人的にきいてしまうのはCharlieのベース。

実は豊秀も同じ意見だった。そもそも「この曲と、彼らの演奏が好きすぎて」と、今回のアルバムに取り入れたわけで、やはり手島のベース推し。冒頭からピチカートでメロディを奏で、サビからサックスが入る。バッキングのピアノも美しい。

アドリブもベースからだが、正確無比な音程とリズム感。本場ニューヨークでの活動歴もあり黒田卓也(tp)、Dennis Mackrel(ds)らとも共演している。豊秀にとっては「頼れる堅実なお兄さん」だそうで、なるほどおっしゃる通りだ。

そう言えば最後の曲にきて気が付いたが、いわゆるバラードらしいバラードがこれしかない。そればかりは「若さ」を理由にしていいだろう。もう少し速くていいですよ、なんならもう一回でも二回でもやりましょうか、みたいな勢いが伝わってくる。

思えば、Qazzレーベルにとって10枚目となるわけだが、ピアノトリオにワンホーンという、いわゆるティピカルなジャズフォーマットは初めてかもしれない。クラリネットのどソロとか、ドラムレスのボーカルカルテットとか、あとはスピリチュアル系だったりとか、割とキワモノが多かったようだが、ようやくと本来の「ジャズ」レーベルに舵が切れそうだ。

このアルバムはリーダー豊秀彩華の全推し初録音だが、きっとこれから、無数に録音を重ね、超売れっ子スターダムにのし上がるに違いない。もちろん他のメンバーもだ。いい意味で伸びしろ抜群のピッチピチなアルバムとなり、僕はとても満足している。しかし当然、本人たちにはいろいろ反省もあろう。

エンジニアの吉川氏の言葉を借りるなら、20年後に、、、改めて聴き直してほしいと思う。どんな未来になっているかなあ。その時も変わらず、それからどうする、と前のめりなそれぞれでいたい。その意味でこのライナーも、「20年後のオレ達」に向けた、はなむけのレターって感じで筆をおきたいと思う。
(石田久二)

1.春の波(豊秀彩華)
2.Donna lee(Charlie Parker)
3.駅(竹内まりや)
4.If I should lose you(Ralph Rainger)
5.それから(豊秀彩華)
6.Holy land(Cedar Walton)
7.Waltz for Debby(Bill Evans)
8.Recorda-Me(Joe Henderson)
9.For heaven’s sake(Don Meyer, Elise Bretton, Sherman Edwards)

豊秀彩華 piano, arrangement
江澤茜 alto & soprano sax (except 6)
手島甫 bass
山崎隼 drums

レーベル:QAZZ
企画:石田久二
制作:株式会社フロムミュージック
発売元:まるいひと株式会社