池川眞常『旅立ち』(QAZZ-011)

¥3,080(税込)

Qazzレーベル11枚目のアルバムのテーマは「こういうのでいいんだよ」です。今やネットスラングとしてよく耳にするこの言葉、元ネタは漫画『孤独のグルメ』の主人公・井之頭五郎が注文したハンバーグランチを目にした時に出てきたセリフ。

シンプルながらも上質。奇をてらうことなく、いつ食べても美味しく飽きない。高級料亭が出す5,000円の仕出し弁当は確かに美味いけど、青空の下で食うなら、800円くらいの幕の内の方がよかったりする。パカッとふたを開けた瞬間、予想通りのラインナップに遭遇するも、誰も文句は言わない。そうそう、これこれ、って感じ。

僕は30年来のジャズオタクで、古いジャズからアバンギャルドまで満遍なく聴くほうです。Mark Turnerなんか、良いに決まってますけど、でも、Hank MobleyのRememberのテーマが終わってアドリブに入る瞬間のブレイクに、これ、これ、って言うじゃないですか。

そんな感じ。と言いながらも、普通は「そんなマニアックな話、知らないよ」と言われるのがオチ。間違っても婚活パーティとかで、質素で平凡な生活が理想って(お前らの好きそうな)女性に出会ったとしても、それを「モブレー(普通はモにアクセントだが、僕らは平ばん化する)のアドリブ」なんかに喩えては絶対にいけない。

なので、もっともっと「こういうの」に近づける必要があり、「モブレーのアドリブ」が最高に良かったとしても、「アドリブ?いらんくない?」って本音も無下にしてはいかんのです。もちろん本来、アドリブのないジャズなど、クリープを入れないコーヒーのようなもの(30年前はこのメタファーが通用したが、今では中学生でもブラックを嗜むくらいなので、まったく意味不明だろう)。

それでもなお、今回のアルバム作成に踏み切ったのは、それなりに理由があります。2022年10月、大阪の某ホールで客数800人のスピリチュアル・ジャズイベントを開催しました。おかげ様で満員御礼となり、せっかくなので、そのイベントの下支えをしてくれた、僕にとって高校の後輩である池川眞常君にも参加してもらうことになったのです。

オープニングアクトとして、幕開け前に「旅路」とか「花束~」とかをやってもらいました。その後、本編となり、ジャズ即興家による神がかったインプロビゼーションが繰り広げられたのですが、ロビーの物販コーナーでは、なんと「最初のサックスの方のCDは・・・?」との声が数多聞かれたそうなのです!

だったら、つくりましょう。音大でクラシックを修めた池川君はあくまで美音を響かせ、アドリブはしません。しかし伴奏のピアノはジャズピアニストで、しっかりハーモニーを奏でていただきます。その結果、ついに「こういうのでいいんだよ」って境地に到達することができました。日本のポップスを中心に、誰もが知ってるクラシックに洋楽。アドリブせずメロディをたっぷり聴かせながら、伴奏はシャレオツなジャズピアノ。そうそう、こういうのでいいんだよ。

1. 旅路

僕は藤井風さんがオリジナル(「何なんw」とか)を出す前から、YouTubeで見て注目していた。コメント欄でも「この人はすごくなる」と予言してまして。だからなんなんってこともないけど、一曲は入れたかった。イントロからノンダイアトニックの風節炸裂。歌うのも、演奏するのも難しいだろうに、池川君はサラッと吹いている。この手のはあまりエモくやらない方がいい。

ただ、池川君自身は歌詞のない演奏においても、その歌詞をとても大切にするそうだ。

“あーあ 僕らはまだ先の長い旅の中で 誰かを愛したり 忘れたり 色々あるけど”

愛するはわかるけど、忘れることもまた大切なんだ。忘れることも旅路に。藤井風ってやっぱりすごい言葉を持っている。

2. Love Theme From “Nuovo Cinema Paradiso”

(ニューシネマパラダイス 愛のテーマ)

僕はそうでもないけど、この曲を聴いて反射的に涙する人いる。これは純粋にテーマを愛でるべし。愛のテーマだけに。たまにジャズ奏者がやってるのを聴くけど、アドリブはしない方がいい。よくサックスは人の唄声に似てるって言われるけど(チェロやトロンボーンも言われる)、この曲調は人の肉声とマッチする。間奏のピアノも美しい。

サックス奏者にとって定番のコンサートピースであるが、「愛のテーマ」と言いながら、曲調からして甘いラブソングでは決してなく、不安や悲しみ、激情さえも感じる一曲。

3. I Need To Be In Love

(青春の輝き)

カーペンターズの曲の中で一番好きかも。「青春の輝き」って邦題はどうよと思うけど、確かに「青春感」がある。昔、熊本県の阿蘇のペンションの朝食時にかかってるのが聴こえてきて、10人ばかり一緒だった仲間たち、誰もしゃべらずにBGMのそれに耳を傾けていた。その時の仲間とはたまに会うが、今でもその話が出てくる。いつだって青春したいんだなあ。僕もだけど。

ところで僕と池川君は同窓とは言え、年齢は20以上も離れている。最近まで接点はほとんどなかったが、幸い、恩師は同じ、濱田伸明先生だ。Qazzレーベル『ひとりごと』の土井徳浩も同窓で恩師を同じくする。池川君は高校卒業を前に、濱田先生と母校の吹奏楽部をバックにこの曲を演奏する機会をもらった。慣れ親しんだ地元のホールでの初めての大きなソロだったそう。これが先生との最後の演奏となった。2012年の冬、先生が亡くなる前の年のことだった。

4. 僕のこと

今回、半分は僕が、半分は池川君が選んだ。番号で言うと、1、2、3、5、10、12が僕で、それ以外が池川君。「僕のこと」って歌は、Mrs. GREEN APPLEってグループも含め、まったく知らなかったけど、若い人はみんな知ってますよ、とのこと。YouTubeで音源を確認すると、歌の内容は愚直なまでの全肯定。

「人は悩み苦しんでいる時間がいちばん美しい。その時間が、その人の魅力に変わるから。」辛いことがあると、こう考えるという池川君。この曲に出会い、よりその気持ちが確かなものとなった。

“ああ なんて素敵な日だ 幸せと思える今日も 夢破れ挫ける今日も”

5. 卒業写真

録音したのが3月だからってわけじゃないが、僕のちょい上の世代から、いまだに歌い継がれている定番の卒業ソング。僕は高校卒業してからもう30年以上になるが、あの当時のことは今も鮮明に覚えていて、それはいくつかの曲とともにリフレインする。この曲もそんな一つ。僕の母親は舟木一夫の「高校三年生」が青春の曲だそうだけど、ごめんなさい、一緒に最後まで聴かなくて。でも、ユーミンの「卒業写真」は、僕も池川君も同じシンパシーにあると思う。

これから卒業って未来を語るより、昔を回顧して、変わる部分、変わらない部分を改めて見つめてみる。どっちも大切ってことを再確認する。間奏のピアノがジャジー。

6.家族になろうよ

「卒業写真」が定番の卒業ソングなら、こちらは定番の結婚ソング。特に意図したわけじゃないが、今回のアルバム、揃えてみると、卒業、結婚、旅、明日、道、翼、など別れと出会い、つまり人生の転機を想起させるキーワードが並んでいた。だったらアルバムタイトルは「旅立ち」で行こうとなった。

福山さんが歌う100年の愛、ベタベタのラブソング。結婚10年でも20年でも30年でも、今がどうであれ、その当時のことを「歌」で思い出す。このアルバムは、人生のいろいろを思い出させてくれるだろう。

恩師の濱田先生が亡くなる前の年、一カ月ほど入院していたそうだが、ちょうど退院して先生が部室に顔を出した瞬間、この曲を合奏していたと池川君の思い出。久しぶりに先生の顔を見て、家族のような、仲間のような、先生と部員たちの深いつながりを感じたそうだ。

7.花束のかわりにメロディーを

この曲も知らなかったが、今では大好き。歌詞を読むと、ちょっとむず痒い。君への愛を歌で表現する、なんてことは、男なら一度は思うことある(え、ないって?)。男って生き物はそれだけ観念的でロマンティック。そんな男の気持ちを女は笑うかもしれないけど、大いに爆笑してほしい。そんな爆笑を乗り越えた先に、もしかしたら永遠の崇高な愛があるかもしれない。知らんけど。

とにかくストレートな曲であり、エモさもある。まあ、このメロディーだったら、笑わずに受け取ってくれるに違いない。

8.明日晴れるかな

まだ「月9」って言葉が市民的だった最後の世代の曲。そのドラマ「プロポーズ大作戦」の主題歌。聴くと、確かにあのしゃがれた声がかぶさって来るけど、桑田佳祐の曲はストレートに歌ったり演奏したりしてもかなりイケる。ここで池川君がしゃがれたサックス吹いてたら、「あの方の真似するのやめい!」って、その場でつっこんでたろう。

自己啓発系でもたまに言われる「明日やろうはバカ野郎」って言葉、このドラマが元ネタと聞く。ぐずぐず先延ばしにして、好きだった女を他の男に取られてしまうって話。明日は何が起こるかわからない。僕が高3の時、同級生6人と「好きな女」を言い合う時間があった。事実、6人中3人が同じ女のことが好きで、僕を除く2人の男は、結局、早く言ったもん勝ちであった。

明日言おうを繰り返さなかったら、あの男の人生は変わっていたかもしれない。そして今もなお、それを繰り返すのか。違うよね。明日も晴れたらいいけど、でもね、本当に何が起ころうかわからないのだよ。今年50歳になった僕自身、そう考えることが多くなってきた。

9. Too Much Love Will Kill You
(トゥー・マッチ・ラヴ・ウィル・キル・ユー)

池川君はかなりのテレビドラマ好きで、中でも一番好きなドラマは、キムタク主演の「プライド」だそうだ。楽器ケースにはドラマのステッカーを貼り、作中のキムタクの背番号を自分の車のナンバーにする程にはこのドラマに心酔している。そして、このドラマの音楽は全編クイーンの楽曲で構成されている。日本のクイーン再ブームのきっかけともなった。その数ある名曲の中から池川君が選んだこの曲は、クイーンのギタリストであるブライアン・メイが作った。辛い悩みを抱えていたブライアンの心の叫びを形にするように生まれたこの曲は、ドラマの中でも登場人物の心に寄り添い、深く染み込んでいく。ご興味のある方はぜひ観てみてはどうだろう。もしかしたら、池川君がDVDを貸してくれるかも。

10. Pavane pour une infante défunte
(亡き王女のためのパヴァーヌ)

「亡き王女のためのパヴァーヌ」の邦題で知られる、モーリス・ラヴェル作曲の美しい曲。クラシックの王道でありながら、様々な編成でよく演奏されるポピュラーな小品と言った趣。サックスとピアノのデュオなどは、かなり定番。

そもそもパヴァーヌとは踊りの曲のこと。だからと言って、決して賑やかな曲でなく、フランス人っぽい洒落た感じが出ている。なんだか、スーッと入ってくる。ジャズピアニストが挑む、生粋のクラシックも楽しんでもらいたい。

11.翼

池川君の師匠であるサックス奏者の西本淳さんから教えてもらった曲。残念なことに、西本氏はご病気で今は音楽活動はされていないようだが、そんな関係もあいまってとても大切な曲だと言う。

作曲は武満徹さん。現代音楽の巨匠として知られるが、こんな美しい小品も残しており、合唱曲としてもよく取り上げられる。翼をもって、希望、自由に向かって羽ばたこう。もっと力を抜いて、楽に生きればいいんだよ。どんな人にも寄り添ってくれる不思議なメロディ。

12. My Way
(マイ・ウェイ)

フランク・シナトラや布施明でよく知られる、あまりにも有名な曲。恩師の濱田先生もよく歌っていたのを思い出す。濱田先生はクラリネット奏者で、テノールの歌もピアノも最高だった。クラシックを中心に学んで来られたのだが、アメリカ留学中に、ジャズバンドでバイトもしていたそうで、焼酎を愛するちょっと粋な先生だった。

今からちょうど1年前、高校の先輩が主催する音楽スタジオでちょっとした飲み会をした。楽器を持ってきていた池川君に、せっかくだから何か吹いてほしい。そこでアカペラで、もちろん楽譜もなくワンコーラス吹き切ったのがこの曲だった。僕はちょっと感動した。濱田先生が横で聴いているような気がして。

池川君が15歳の時、音楽の授業で初めてこの曲に出会った。もちろん濱田先生の授業で。今、池川君は30歳くらいだが、この先もずっと演奏し続けたい曲なんだと。40になった、50になった、60になった、そして死ぬ

直前もMy Wayを吹き続けたい。そんな自分の音を聴き続けるのが池川君の人生の旅なんだと思う。

アルバムの12曲は、聴いた人、きっとそれぞれに刺さる何かがあると思います。昔のことを思い出したり、懐かしんだり、勇気づけられたり。僕自身、今年で50歳になり、人生も後半戦。つくづく、音楽が好きでよかったと思う。たくさんの思い出が、音楽の中にしっかり閉じ込められているから。池川君も「このアルバムの曲を聴いていると、音楽(時間)は前へ進むけど、昔のことばかり思い出します。その何とも言えない時間の旅を、僕は楽しみたかったのかもしれません。」と語ります。

モノは壊れるけど、思い出は永遠。良き思い出こそが、人生の真の宝であると僕は思っています。これからも、たくさんの経験、思い出を作り、音楽の宝箱に一つ一つ大切におさめていきたい。毎日毎日が旅立ち。明日はどんないいことがあるかなあ。

最後に簡単に演奏者の紹介をします。サックスの池川眞常君は、僕とは20歳以上も離れた高校の後輩だけど、妙に落ち着いたところがあり、上からも下からも慕われています。高校卒業したら家業の靴屋を継ぐつもりだったそうですが、なぜか大阪音楽大学に進学し、今は関西を中心にプロの演奏家として活動。聞くところによると、高校時代は早々と音大に合格した後も、何も勉強せずとも学年一位だったそうで、元から地頭が良いのでしょう。

ピアノはお二人いるのですが、どちらも本業はジャズ。1曲中3曲は若手の工藤舜也さんに、残りは世界を股にかけて活動している井高寛朗さんにお願いしました。お二人ともとても性格の良さがにじみ出しており、これから先も仕事をご一緒することもが増えるでしょう。

Qazzレーベル初期から携わっていただいております音楽監督の杉山正明さんには、ちょっとムードを出して、シンセサイザーでストリングスをかぶせてもらいました。なかなかいい感じです。
(石田久二)

1. 旅路(藤井風)
2. Love Theme From “Nuovo Cinema Paradiso”(Ennio Morricone)
3. I Need To Be In Love(Richard Carpenter)
4. 僕のこと(大森元貴)
5. 卒業写真(荒井由美)
6.家族になろうよ(福山雅治)
7.花束のかわりにメロディーを(清水翔太)
8.明日晴れるかな(桑田佳祐)
9. Too Much Love Will Kill You(Brian May)
10. Pavane pour une infante défunte(Joseph Maurice Ravel)
11.翼(武満徹)
12. My Way(Claude François)

池川眞常 Soprano & Alto Saxophone
井高寛朗 Piano (4~12)
工藤舜也 Piano (1~3)
杉山正明 Synthesizer (1,10~12)

レーベル:QAZZ
企画:石田久二
制作:株式会社フロムミュージック
発売元:まるいひと株式会社